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おきゃん
ブログのタイトルが『おれのほそ道』だったり、→の説明欄に松尾芭蕉のイメージがあったりと、『おくのほそ道』を意識した構成に見えるが、『おくのほそ道』のことを深く研究したりしているわけではない。 芭蕉が「片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず…」と旅に憧れていた気持ちに、なんとなく憧れているような、解からないながらも解かったような気分になっているという感じ(笑)

仕事で訪れた深川で、帰りの新幹線まで少々時間があったので少し歩く。 深川については何にも知らない、司馬遼太郎『街道をゆく36』[本所深川散歩/神田界隈]では、深川芸者のイントロダクションから紀文が男を揚げた木場の由来や、噺家のことや江戸人情話が紹介されていたが、芭蕉が『おくのほそ道』へ旅立つに当たり 「 草の戸も 住替る代ぞ 雛の家 」 と詠み庵の柱に懸け置いた芭蕉庵の事は記述がなかった。

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                           〔 GXR | S10 24-72mm 〕

木場から清澄方面に歩き出して、ほんの少しだけ東京スカイツリー(この日は東京タワーの高さを抜いた記念日だった)の頭が観えたことが不味かった(?) 芭蕉記念館の看板を横目に「もう少し歩けばスカイツリーがよく見えるところまで辿り着けるのでは?」という想いのほうが勝ってしまい、どんどん北上(もちろん正確な位置関係は解かっていない(笑))、結局錦糸町まで歩いた(!)ところでタイムアップ。 夕方からN潟で会議が入っていたので鉄路の人に…

“おきゃん”という言葉は(当時男しか着なかった)羽織を着ていた深川芸者のようすをさすのだそうで、そんな木場(当時の巨大資本、材木問屋街)で働く気風のよさがうりのおきゃん達の色街の痕跡を探して歩くつもりだったのだけれど、マンションと印刷所、製本所ばかりが目立つ新しい街並みしか目に入らなかった。 

そういえば、深川は東京大空襲で最初に焼夷弾が落とされた街で、戦後一面の焼け野原から復興した街だった…
by ara_umi | 2010-04-04 23:23 | 小さな旅(奥の細道をゆく) | Comments(0)
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