2010年2月28日はどうしても行けなかった。 クライアントとの面談が午後2時、ちょうどりゅーとぴあ〔劇場〕でハンク・ジョーンズのプレイが始まる時間だった(泣)
ハイティーンの頃に生意気にJAZZを聴きだして、渡辺貞夫→THE GREAT JAZZ TRIO→HANK JONES … というラインと
MILES DAVIS→JULIAN ADDERLEY⇒Somethin’ Else⇒あ、HANK JONESだ! …みたいな流れも(笑)
十数年前、ナショナルのテレビか何かのコマーシャルでハンクの弾くピアノにジャバ・ザ・ハット様が涙しているシーンを観て「まだ元気だったのか!」と驚いたけれど、ここ数年はN潟でもときどき元気なプレイを聞かせていてくれていたのだった。
ハンク小父さんとの付き合いも30年以上か… もっとも"Somethin’ Else"の発表だってワタシの生れた年だからね…
きっと今頃天国でマイルスやコルトレーンが歓迎のパーティを開いているはず、もうあの世のほうがだんぜん豪華ですから…
〔 GR DIGITAL II with GW-1 ・ K20D | FA 43mm F1.9 Limited 〕
MODERN JAZZのすべての歴史の証人HANK JONES 2010年5月16日永眠 91歳
Wikipediaに書いてあるだけでもそのGREATの一部でしかない、彼の輝かしいキャリアの最後が新潟の地だったとは…
…2010年2月、東京ブルーノートではロイ・ハーグローヴ、TOKUらと共演。その後2月26日には下関のクラブビリー、2010年2月28日には新潟市民芸術文化会館に集まった900名前後のファンの前で、生涯最期となるピアノを熱演。
ファンへの思いやり、力強いステージワーク、ピアノに対する情熱は最期まで衰える事無く、アンコール後も、会場の入り口に登場し、サイン会を実施、200名近くの長蛇の列となり、すべてのファン一人ずつに声をかけ、握手し、サインを行った…