新潟の“遊女”今昔
このブログ11月20日のエントリは松尾芭蕉の句「一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月」から一振の宿で隣の部屋に宿泊していた、お伊勢参りをする“新潟と云う処”の遊女との件(くだり)について書いた。そしてこの話はどうもつくり話らしい、しかし、それとしてもなぜ新潟の遊女だったのか?

新潟市の発行している「新潟歴史物語」という本がある、そこからの引用。新潟には昔から「男の子と杉の木は育たない」という諺がある(この新潟は越後の国のことではなく、信濃川の河口にある江戸時代の新潟町のことをさすはず)、要するに女性が働き者で男はのんびりとしていた(今も?)。そして収入さえあれば女でも家が持てる、夫よりえらい、離婚も平気…というように21世紀の今と同じような感覚が江戸時代からあったらしい。

また、文政2(1819)年には609人の(遊女家の)遊女がいて、そのほかにも“後家”と呼ばれる個人経営(!)の遊女が廓(くるわ)外での“デリバリー営業”をしていたという。そして遊女という職業は恥ではなかったとある。これには近郊の貧農の娘が旅籠(はたご)の飯盛女(これも結局は売春婦)に売られたのち、年季があけて帰郷したときには暖かく迎え、親孝行娘として普通に結婚もできたという、貧困がもたらす悲しくも人間味のある風土性があったのかもしれない。

芭蕉も「奥の細道」の行程で、新潟に宿泊している。芭蕉の旅は、文政年間より100年以上前だが、その当時も新潟町には遊女が大勢いたのであろう。そのときのインパクトが、そんなストーリーを思いつかせたのかも知れない。この年は伊勢神宮の20年に一度の遷宮の年にあたり、芭蕉もこの旅の最後は、お伊勢さまを目指すのであるが、一振(いちぶり)の宿まで新潟のオヤジ(遊女たちからは“あにさま”と呼ばれていたはず)が遊女に一緒についてくるあたりは、今も昔も金持ち(助平)オヤジの行動は変わっていない(?)ということか。 

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遊女という言葉には狭義の売春婦という意味と、広義では酒食の接待をする女性(いわゆるオネーサン)という意味もある。由緒も伝統もある新潟の遊女(もちろん後者ですぞ)の現在の様子。少し前まではこんな案内所なんてなかったのに、最近ではwebまで使った攻めの営業をかけている。元気だなぁ。

「いまだに、男も杉も育っていない…トホホィ」
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by ara_umi | 2005-11-24 20:50 | 小さな旅(奥の細道をゆく) | Comments(0)
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